最新DJミックスを
YouTubeにあっぷしました。
One realization
いろいろな気づきがあり
それを教訓にしています。
誰かを否定したり、立場を落とすようなことを、みんなが見られる場所に投稿すると、どうも自分の体調まで揺らぐような気がします。 きっと、心のどこかで罪悪感や後悔が芽生えてしまうからかもしれません。
でも、誰かの行動が、結果として何かを良い方向へ動かすこともある。 それは、きっかけになったり、学びの入口になったりする。
失敗もあるし、考えすぎずに動いてみて、そこから学ぶこともある。 それって、すごく自然で、健やかな成長のかたちだと思うんです。
だからこそ、言葉を選ぶときは「誰かを責めるため」ではなく、「何かをより良くするため」に。 そんなふうに意識するだけで、心も体も、ちょっと軽くなる気がします。
ツターン、ツタン、ツタン。
オーメ、オーメ。
誰にも伝わらなかった、忘れられた言葉。
それでも、耳の奥で鳴り続ける。
時を越えて、心の奥に届く呪文。
ふと気になることがあります。特別なことをしている人の話を聞くと、
少し距離を感じることもあるけれど、
誰かが「休日は何もせず、ぼーっとしてました」と言っているのを聞くと、
なんだかホッとすることもあります。
案外、そんなふうに過ごしている人も多いのかもしれませんね。
ある人は「洗車してたよ」と話してくれました。
それぞれのペースで、ちょっとしたことをして過ごしているんだなと思います。
ベロニカ
ベロ2Q
ベロニキュ
そう微笑んで、
ベロニカってなんだっけなぁ?
と。
実際のところ、みんながどんな休日を過ごしているのかは分かりません。でも、アンケートを取ってみれば、きっと見えてくる気がします。
私はというと、音楽を聴いたり、ネットを眺めたり、ぼんやり過ごすことが多いです。何か楽しい趣味を始めてみたい気持ちもあります。
でも、ふと思うのです。インターネットを見たり、音楽を聴いたり、本を読んだりして、家でのんびり過ごす人って、案外多いのではないでしょうか。ライブに通ったり、推し活をしている人もいるかもしれませんが、やっぱり「家や近所でゆっくり」が多数派な気がします。AI調べでも、そんな傾向があるようです。
そんな中で、インターネットに文章やコンテンツを投稿することが、誰かの休日をちょっと楽しくするきっかけになるかもしれない。そう気づきました。
だって、家でゴロゴロしている人は、きっと何か面白いものを探しているはずだから。
スキなDJのDJミックスを聴いて休日をダラダラ過ごすのも
なかなか、いいような気がしました。
2000年代になると、DJやクリエイターのブームが訪れ、誰もが挑戦できる空気が広がっていました。創作が身近になり、楽しみながら自分を表現できる場が増えていたように思います。
今では、バンドもDJもクリエイターも、始めるには少しハードルが高くなってきました。技術や表現のレベルが上がった分、気軽に始めるには勇気や準備が必要になってきたのかもしれません。
でも、かつての「誰でも始められて、仕事にもなるかもしれない」という空気感は、嫉妬を生まず、みんなが楽しめる雰囲気をつくっていたように思います。街も人も、自然と賑わっていて、何かが動いている感じがありました。
時代は変わり、今はSNSの時代。投稿を代行する仕事があるほど、誰もが関われる新しい価値が生まれています。「ちょっと覚えればできる」くらいの気軽さが、実はちょうどよくて、みんなが参加できる文化を育てているのかもしれません。
バンドやDJ、クリエイターも、ブームになったときは「自分もやってみよう」と思える空気がありました。そういう流れがあると、世の中が自然と楽しくなって、みんなが何かに夢中になれる。
最近、少し世の中が不安定に感じるのは、やることが見つかりにくくなっているからかもしれません。でも、誰かが何かを始めて、それが周りを楽しませて、賑わいを生む。そんな循環が、やっぱり素敵だなと思います。
AIとSNSが組み合わさって、また新しいブームが生まれたら、きっと誰もが気軽に楽しめて、笑顔が広がるような時代になるかもしれません。
だれもが楽しめるものにするために
何かがブームになると、「自分にもできそうだ」と感じて始める人が増えます。けれど、やがてその分野のレベルが上がっていくと、続けられる人と離れていく人に分かれていきます。できなくなった人は、次第にその分野を嫌いになったり、成功した人に嫉妬したりすることもあるでしょう。
そしてまた新しいブームが訪れ、同じことが繰り返される。そんな循環を感じます。
だからこそ、どんな分野でも「誰でも楽しめる」「気軽に参加できる」レベルに留めておくことが大切なのではないでしょうか。ハードルが高くなりすぎると、その文化自体が疎まれ、限られた人だけのものになってしまいます。成功するのは一部の人だけになり、そこに差が生まれ、分断が起こる。
スポーツも、音楽も、絵を描くことも、最初は「自分にもできそう」と思って始めるものです。時代が変わっても、年齢や場所に関係なく、誰もが楽しめるものであれば、決して“オワコン”にはならない。
たとえばゲームは、場所も年齢も問わず楽しめます。一方で、音楽やバンド、DJなどは、活動する場所や人間関係が必要になってくる。そうした環境が整っていないと、できる人が嫉妬されたり、嫌われたりすることもある。
市民権を得た街なら、DJもサッカーも日常的に楽しめるかもしれません。でもそれは、街によって違う。誰もが気軽に楽しめる環境がなければ、年齢を重ねたときに続けられなくなり、結果としてその文化は衰退してしまう。
だからこそ、持続的に楽しめるものにするには、ハードルを上げすぎないこと。誰でも、いつでも、どこでも、楽しめるようにすること。それが、文化を長く生かし続ける鍵だと思います。
音楽をやっていた頃、心や体の調子を崩して、今は障害者として生活しています。日雇い派遣でいろんな仕事をしていた時期もあって、収入はいつも低め。でも、そのぶん街の空気や人の営みをよく見てきた気がします。
今思うのは、「普通に楽しい」と感じるベースで物事を進めるか、あるいは何か超越したものを持っていても、それが知られていない状態でいること。そのどちらかが、案外いいのかもしれないということ。
企業のプロジェクトって、誰が作ったか分からないまま進んでることが多い。でも、すごいと思えるものって、手芸とか簡単な作業みたいな“できそうなこと”の中にあったりする。そういうのが、今の自分にはしっくりくる。
だから、これからは「誰でもできること」に焦点を当ててみようと思ってます。この投稿や写真も、その一部です。
「一芸は道に通ず」って言葉があるけど、その“一芸”を、特別なものじゃなくて、日々の中にあるものにしてみる。そんなふうに生きてみようと思ってます。
🌿 日常と表現のあいだで、健やかに生きる
音楽やアートのような、特別なことをしている人に対して感じることと、誰でもできるようなことをしている人に対して感じることが、なぜか違ってくる。それがずっと不思議でした。
たとえば、日常の出来事をブログに書いたり、Instagramに投稿したりするだけなら、「それくらいなら自分にもできる」と思えて、特別な感情は湧かない。でも、それが絵や音楽になると、なぜか心がざわついたり、嫉妬のような感情が出てきたりするかもしれない。
そんな反応を見つめながら、最近は「それが健やかに過ごせるレベルであるかどうか」が大事なんじゃないかと思うようになりました。
誰かの表現が、見る人にとって心地よく響くものであれば、それはきっといい影響を与えている。そして、自分自身も、無理なく続けられる形で、日々の中にあるものを表現していけたら、それだけで十分に価値がある。
そんなふうに思えるようになった今、日常の中にある“できそうなこと”に目を向けて、そこに小さな光を当てながら生きていこうと思っています。
Instagramを見ていて、あることに気づいた。
嫉妬されるようなこと、自慢に見えることは、発信するには重すぎる。
誰でもできて、誰もが楽しめること。
それを選ぶことで、まわりの空気はやわらぎ、つながりが生まれる。
特別であることが、必ずしも幸せを運ぶわけじゃない。
むしろ、日常の中にある「みんなでできること」のほうが、
深く、静かに、幸せを育てていく。
もちろん、超越した人もいる。
でも彼らは、自慢ではなく、喜びを分け合っているように見える。
その姿に、嫉妬ではなく、希望を感じる。
だから私は、
誰かを驚かせるより、誰かと笑えることを選びたい。
幸せな結婚への想い

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